2014年11月24日月曜日

魂の看板

ロケットコンロに引き続き、風天天然農園の看板が出来上がりました〜!
作るまでの行程を簡単に残しておきます。

ベースの木は、田内師匠の庭木の手入れをした時に、倒した柿の木をチェンソーで輪切りにして、カンナとサンダーで磨きました。

それに、マスキングテープを貼って、習字師範代の腕前を持つ我が祖母の字を彫刻刀でトレースしました。
道具は、筆とインクと彫刻刀

字の部分を切り抜いて、インクを塗って…

マスキングテープを剥がせば出来上がりです☆

コンピュータにはとても出せない善い味が出ました(^ ^)

ばあちゃんに感謝です

11/22良い夫婦の日に誕生日を迎えて親戚一同で77歳の喜寿のお祝いをしました。
二人は僕の知る限り、世界で一番いいふうふです。
大好きです。
いつまでも元気で長生きしてね。

2014年11月23日日曜日

ロケットコンロの作り方

ロケットコンロを作る際の作業工程を記録しました。
イベントに持って行ったところ、どうやって作ったのかと質問が多かったので説明します。

まずは、二段重ねの下になるペール缶の一箇所に、煙突のT字を使い、燃やし口を作る為に、穴を開けます。
写真は、その下準備をしている時の様子です。
油性ペンで、煙突の差し込み部分を当てがってライン取りをしました。

古くなった収穫バサミを使ってラインの円の中心から外へ向けて全方向に適当な感覚で切れ込みを入れていきます。
ハサミの刃が傷むので、ボロを使うのが無難です。
手を切り易いので、手袋をすることをおすすめします。

切った部分を缶の内側に向かって根元から折り込んで、空いた穴にT字の煙突を差し込みます。
その後に、煙突のエルボをつなげて、エルボの口が上向きで、缶の中央にくるように配置します。

内側の写真

外側の写真

次にホームセンターで買ったアルミテープを使います。

煙突を固定する為と、隙間を埋める為に、連結部分にアルミテープを巻きます。

次に、先ほど穴を開けたペール缶とは別の、もう一つの缶の底を使ってコンロの上部を作っていきます。
真ん中の穴を空ける部分に煙突を当てながら油性ペンで縁取りを書きます。

再び、円の中心からハサミで切り込みを入れていきます。
マイナスドライバーとハンマーを使って先に穴を空けておくと簡単です。

下の缶になる口のリングをハサミで切りました。
深夜で近所迷惑になるので、サンダーは使えませんでした。
この切った部分に上の缶がかぶるので、出っ張ったところは、ハンマーで叩いておきます。

そして、断熱材として使用したのはホームセンターで購入したこちらのバーミキュライト。
一般的に使われるパーライトに比べても安くて軽いので持ち運びにも向いています。
40リットルでちょうどペール缶2つ分入れられます。

コンロの上部になる方から先に、あらかじめ煙突を軽く刺した状態で断熱材を押し込みながら敷き詰めます。

そして、ここからが少々、知恵と技の使いどころ…
庭師をしていた頃に覚えたスキルでカバーしました。
使ったのは、麻布の帯。
本来、移植する木の根っこを覆ってこてする物です。

木の根っこを覆う容量でグルグル巻きにして断熱材がこぼれないようにしてひっくり返します。

下の缶にも断熱材を敷き詰めます。

上の缶と下の缶をくっつけて、麻布をグルグル回収します。

ぐちゃぐちゃになります。
おかあちゃんに怒られる前に片付けましょう。

連結部分にもアルミテープを巻いて、断熱材がこぼれるのを防ぎます。
アルミテープは頑丈なので缶同士もしっかりとくっつきます。

最後にスプレーで塗装して、飛び出た煙突を切って、ゴトクを載せて完成です。
早速イベントで使いました。
薪をたくさんくべれば寸胴鍋だってあっという間に沸騰する火力になります。

2014年11月7日金曜日

L.F.T.R

今回は、農園とは、別件の内容の番外編になります。

タイトルの四文字の頭文字は、Lean From The Revibe 〜復興から学ぶ〜という意味が込められています。

夏場から始まった、仲間達との同行も、先月10/25(土)の活動を機に活動資金の募金が底をついたのもあり、今後の企画を思案していく為にも、ご勝手ながら、一旦きりをつけさせて頂き、ここにまとめて報告いたします。

事の発端は、8/13〜16日のお盆期間を利用して、東日本大震災の被災地である宮城県石巻市女川町の今と、終戦記念日の靖国参拝を巡った、男6人による奇妙な冒険がきっかけとなりました。

我々のグループ名は、BLOCAL
備後地方の地元集団という意味合いがあります。

自分も含め、奇しくもメンバーの半数は、震災後に復興活動などで、被災地に出向いた人間で、絶望的な現場から、たった数年で姿を変え、それでもやはり傷跡の残る地を踏みしめ、各々色々な思いがあった事と思います。

初めて被災地に訪れた時の様子は、こちらです
http://hooten.hp2.jp/blog/?p=192

福島県の原発方面にも向かいました。
これ以上は進めないところまで進み、車内では、収束のつかない話題について真剣に語らいました。

終戦記念日を迎えた靖国神社では、遊就館などに出向き、決して繰り返してはいけない戦争について、もう一度見直しました。

そんな、仲間達とは、出会うべくして出会い、この旅に意味をも持たせてしまう出来事が、広島県に帰還して間も無く、8/20の豪雨と共に訪れました。

広島土砂災害が発生しました。
74名にも及ぶ尊い命が犠牲となり、全壊から浸水まで含め3500軒以上もの建物が、被害を受けました。

自分にとっては、幼少期に、八木地区で過ごした経験もあり、人ごとにも思えず、BLOCALのメンバーは、このタイミングもあり、当然のように動き出しました。

同級生のリーダーが、募金活動から何から何まで率先して行い、車を出す人、物資や情報を集める人、人を集める人と、人と人との連携は、瞬く間に広がり、被災から3日後の8/23には、一同現場まで辿りつきました。

我々は、ボランティアという言葉はあまり好みません。
こういった活動は、そこに、ギャランティつまりはお金が発生するか否かという表現を用いられがちですが、非常時に動く人間に対して、金をもらってるかもらってないかで区分される事に少々異論があるからです。
活動資金としての募金を募って向かっているのにその表現はおかしいというのもあります。
職業も役職も関係なく、みんなが一丸とならなくてはいけないのに、まずお金がどうこうというのはおかしいのではないかと実感しました。

普段は、おかしな常識や、狂ったニュースに囲まれているとさえ思えてしまう日本は、実はすごい底力を持っています。
目に見える危機的な非常時には、こんなに人が集まり、助け合うのだから、普段の潜在能力を引き出す事が出来れば、きっと世界を変えていく力も我々は、持っているはずです。

…と、私なりに、復興から学び得た事を少しまとめてみましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

尚、今後のBLOCALのイベントや活動については、フェイスブック等を通して追って報告致します。

最後に、この場を借りて、一同、犠牲者の方々のご冥福を心よりお祈りいたします。